体験談・症状別

体験談

オステオパシーを体験して

自分の治癒力を信じるということ

オステオパシーを体験して
私とオステオパシーとの出会いは、10年程前に遡る。
足の不調に悩んだ母が「とてもいいから」と知人に勧められて通うようになり、母が肩こりの酷い私に勧めたので、私も半信半疑で通い始めた。
「カイロプラクティックのようなもの」と聞かされていたが、バキバキ音がするような痛いことを想像してしまい、行く前からウンザリしていた。しかも私は元々人に身体を触られるのが好きではない。
ところが私を待っていたのは、暖かい笑顔のK先生と奥様でまるで家に帰って来たような心地よさに見舞われながらも、これから始まる痛さを連想してドンヨリした気分となった。
ところが治療自体は痛いどころか、先生が力も何もいれないような感じで私の体のあちらこちらを軽く押したり、手を軽くひっぱるだけで「これで本当に効くのか?」と思ったのだが、段々気持よくなって来て、思わずうとうとしてしまった。
終わった後の何とも言えない気持の良いけだるさは、オステオパシーを経験した人ならではの特権と言えるだろう。
診察の始めに先生から不調な場所を聞かれるが、聞かれなくてもなぜか先生の手は自然に悪い所を探し当ててしまうようだ。
オステオパシーは最初、中国のものかと思っていたが、実はアメリカのミズーリ州カークスビルが発祥地で、アメリカでは医学部を出た後で更に学んでようやくオステオパシーの資格が取れるそうだ。
オステオパシーは骨や血液、体液の流れ等を機械を使わない手技で調整し、本来人間の身体が持っている自己治癒力を高めるもので、治療を施すオステオパスは技術はもちろんのこと、解剖学などにも精通していないといけないと言う。
薬を飲んで身体の悪いところを無理矢理治すのではなく、自己治癒力を高めるものなので、風邪を引いている時に治療を受けたからと言って奇跡的にすぐ治ると言う事はあまりない。
一旦悪くなったように思う事もあるが、その後はびっくりするような回復を見せる事が多い。これは本当に不思議だ。
また何が何でもすべてがオステオパシーで治ると言うものではないので、先生から病院に行く事を薦められる事もある。
だからこそ、オステオパシーの信頼が高まる。これが「何でもかんでも治りますよ」と言うアプローチだったら、とても安心して自分の体を人に預ける事は出来ない。
自分のところに来る患者を何とか治したいと言う先生の熱心な気持ちが治療の間ずっと伝わって来る。
先生の暖かい笑顔の裏にある確かな技術と、それでもなお勉強を続けている先生の熱意がより一層の安心感をもたらす。
いつの間にか月に一回は通わないと落ち着かないし、何かあったらすかさず先生の所に駆け込むことにしている安心感がいつでも私をより元気にしてくれる。
オステオパシーとの出会いに心から感謝したい。  Y.S
オステオパシーを体験して

私の家は15年程前に火事に遭い、その時に家の中にいて炎がかぶさって来ると言う恐ろしい体験をしました。
火傷もせずに逃げ切る事が出来たのですが、その後は火事の光景が思いだされるフラッシュバックや、いいようのない不安感や電車の中なので突然呼吸が苦しくなったりする事が続きました。
病院にも行ったのですが、精神安定剤や睡眠薬等を飲んだにも関わらず、なぜそうなるのか理由もわからず状況も全く改善しないまま数年が経ちました。
そんな時に出会ったのがオステオパシーでした。
オステオパシーはマッサージや指圧等、民間療法とも異なるホリスティック的なものです。
ロバート?フルフォード著「いのちの輝き」と言う本で「人の身体には既に自ら治そうとする力が秘められており、治療者は力に回復の為の動機を作るだけである」と言う内容があったのですが、身体と心は一つに結ばれており、何かトラウマや病気があった場合、体がそれを覚えており、トラウマの場合は呼吸系統がつまりやすく、呼吸が詰まることによって、血の流れも悪くなり結果的に体の調子が悪くなるそうです。
そしてそれを解放する一つの手段としてオステオパシー療法があり、オステオパシーの治療によって、ずれたり曲がった骨を正しい位置にしたり、筋肉、靭帯、血液の流れを改善し、本来人間の身体が持っている自治癒力を高めて行く事ができると言います。
オステオパシーの治療を受けるようになって、今まで以上に自分の体に敏感になりました。
ストレスが貯まっているなと思う時は、確実に胸の辺りが苦しくなってきます。
そして治療を受けた後は非常に呼吸が楽になり、全身に活気がみなぎって来るのを感じます。
大変な経験をしましたが、オステオパシーで高められる自己治癒力を感じ、自分もまだまだ捨てたものではないと安心し、息苦しいなあと感じ始めたら、友人とノンビリしゃべったり、カフェでゆったりと自分だけの時間を過ごしたり、ストレスのコントロールも出来るようになってきました。
今では月一回くらいのペースで通っていますが、エステサロンに行く一回分もしない治療代で、元気な心と身体を保つ事が出来るオステオパシーにはこれからもずっと通い続けたいと思います。 J.T
オステオパシー治療を知らずに苦痛にあえいでいる方々へ

この手記が、この治療法を知らずに施術に取組んでいる先生方に、一条の光を与えことができるならば幸いに思います。志ある方々、共に勉強いたしましょう。

私が海上コンテナ輸送の運転手をしていた時の事です。ディーラーの修理ミスにより、走行中トラックが反転するという異常な事故にあってしまいました。それは早朝の出来事で、会社の同僚が事故現場を通過した際、大破したトラックを見てこれは死亡事故だなと思ったそうです。

私は運良く一命をとりとめ入院となりましたが、傷病名は頭部挫傷、頚椎捻挫、腰椎捻挫、左手挫傷と診断。MRI検査では、左側C-5・6にヘルニア・L4-5,L5-Sの中央から左側にヘルニアが見つかり、外傷性による椎間板ヘルニアと診断されました。

運良く一命をとりとめたと思われたあの事故当日より、その運良くと、思われた代償は凄まじいものでした。 それは、昼夜治まることのない激しい痛みとしびれの為に唸る日々、整形外科では治療らしきことは全く行われず、痛み止め入りの点滴と局部へのブロック注射、そして強い頭痛薬、筋肉弛緩剤、睡眠薬、精神安定剤と休みなく薬づけにあいました。

入院から2ヶ月を経過した時には意識はもうろう、皮膚を触れられても判らないほど感覚も鈍くなっており、このままでは廃人になってしまうのではと不安になり、されるがままの薬づけ以外は成す術もなく気持ちはどんどん落ち込んでいきました。そんな地獄の入院生活も3ヶ月を経る頃、ある入院患者から整形外科では治しきれない症状も、施術などにより治す事が出来る治療があるとの話を聞き、現状の不安を大きく抱える入院生活から一刻も早く抜け出したく、痛みをおして退院する事にしました。

暗中摸索のなか最初に見つけた施術は、指圧による治療でした。治療前の先生の診断では頚椎捻挫は治す事は出来るが、腰痛と足のしびれに関しては治す 事は出来ないとのこと、それでもワラをも掴む思いで、首の痛み、左手、拇指と人指し指の麻痺、左腕の運動障害の治療を受けました。しかし、治療は激しく頸部を押し揉んだ後に、牽引治療器による15キロの牽引が連日行われました。指圧治療は苦しみの連続で、治療後も決して身体が楽になった様子も、依然痛みが楽になったわけでもありませんでした。それでも、先生の言われるままに2週間通院しましたが、痛み、しびれの不自由な身体は回復しないままでした。 14日目には、「もう、これ以上は治す事は出来ない」と事実上先生からは敗北宣言を伝えられ、全く症状は変わらないまま2週間で治療は中止されました。

その後、施術、気功などによる様々な治療を受けましたが、身体の痛みなどの症状が良い方向へ向いているとはとても思われませんでした。

そんなある日のことでした。痛みは増すばかりで、治療に行くことも出来ずに苦しんでいた時に、地元の友人より、痛みを取ってくれる治療院があると紹介され、半信半疑のまま行くことにしましたが、今までの経験からその時も全く期待はしていませんでした。しかし、友人の強い勧めもあり遠方ではありましたが、思い切って治療を受けたところ、今までの様な痛みを伴う治療は全く行われず、むしろ、もう少し強く押してもらいたい程の心地よい気分で時間が過ぎて行ったのです。軽いタッチで、そのうえ痛む個所に的確に触れ、不思議と触られた個所から氷が溶けるかの様な感覚で痛みの緊張が緩んで行くのがわかり、全身が緩んだ時には治療が終わっていたのです。治療ベットから下りた時、今までに味わったことの無い感覚が全身から伝わってきました。痛みは多少残ってはいましたが、それまでは全身が錆びたロボットの様にギーガシャン、ギーガシャンと痛みを伴いながら動いていたものが、まだまだ活躍出来ると言わんばかりに体中にエネルギーがみなぎり,先生のケアーのおかげでスムーズな動作で歩く事が出来たのです。正に奇跡でした。これがオステオパシー治療 との出会いです。

その後、数日にわたり治療に通い、治療が終わるたびに先生の不思議な手が、それまでは真っ暗なトンネルの中にいた私の動かない左手指、左肩、激しい 頭痛、しびれていた両足の感覚等を、回復へと導いて行ってくださったのです。こうして殆どが壊滅的な身体が見事に蘇ったのです。

私は、この奇跡的な治療方法に心を魅かれ、オステオパシーとは何なのかと調べたところ、その治療は単なる施術だけでは無く、医学に基づくことを知り なお一層の驚きを感じました。今の日本は、西洋医学や東洋医学の治療に頼り過ぎている為、回復が望めない病気や怪我で苦しんでいる人達がたくさんい ると思います。現に自分の症状は整形外科では治せないと言われ、「痛みが有れば痛み止めの投与で、我慢するしか無い」と見放されてしまっていたの でした。自分の経験からだけで、今の日本の医学が聞違いだとは申しません。しかし、治すことが出来るオステオパシー医学があるのだから、その優れた医学で学び苦しんでいる人達を救うこと、手を差し伸べることが、今後の医療に必要ではないのかと思って成りません。

オステオパシーに救われ魅せられた私は、今度は自分がオステオパシー医学を一から学び、苦しんでいる人達に、手を差し伸べ導いてあげられればと思うようになり一念発起しご相談いたしました。 先生からは、「まずはテクニックより大切な、人体システムの解剖学、生理学を熟知しなければならない」とご指導を受け、現在私は解剖学と生理学を勉強しています。 そして、その勉強と併用し、「オステオパシー医学の思想」という本を読みました。それは、アンドリュー・テイラー・スティル博士の哲学的な理論で大変感銘を受けました。その文面の中に「オステオパシーの基礎となる思想は、全ての血液はいかなる時も、全ての部分、全ての器官から器官へと流れていなければならない、ということである」という言葉でした。それは、趣味で観賞魚を飼育している私の推測するに、水槽の中に、いくらきれいな魚を泳がしていても、水流が無く濾過を怠っていては、水も腐り3 日で魚も病気になり、そのままでは死に至るのと同じこと。そして人体こそ血液を含む体液の循環が最も重大な生命維持ではないかと、スティル博士の哲学を読みなお一層思いました。その循環経路の妨げを「判断する能力」と、それを「取り除くための能力」を、もっともっと勉強し苦痛を抱えるたくさんの人達に手をさしのべ導いて行ける、そんな「手」に私はなりたいと思い、熱い希望を胸に秘めながら学び続けている毎日です。

症状例

五十肩
症例; 41歳、男性Bさんは、急に肩が痛くて挙がらなくなりました。まわりの人たちからは、四十肩だと言われ、本人もそう思い込んでいました。私が、相談を受け、診てみると、ある一定方向にだけ制限があり、それも狭い範囲だけでした。3日後、痛みが、ひかないので、病院での検査を勧めました。
ろっ骨の2番にひびが、入ってました。本人は、どこにも、ぶつけた記憶が無いということでした。
オステオパシーでは、体をバラバラの集合体ではなく、機能と構造の面からお互いに影響しあう1つの、ユニットとしてみます。肩だけを、診てグルグル回していては、何の解決にもならないでしょう。
オステオパシーでは、正確な鑑別診断能力が必要とされます。(医師と同等かそれ以上)
オステオパシーでは、手で触れ、その触診能力で体の組織異常をみつけます。
「四十肩」「五十肩」は、肩が痛い時の、一般的な広い言い方です。

実際には、たくさんの種類があり、さまざまな治療方法があり、1つのパターンだけでは、ないのです。上腕二頭筋腱炎、石灰化、回旋腱板、骨関節症、 筋筋膜痛(肩甲下筋)、肩鎖関節、癒着性関節包炎、感染症、小胸筋、大胸筋など。
また肝臓・胆のうの障害を見抜けなければならないし、心臓疾患の疑いを持つことも必要です。骨折や癌の骨転移にも気付かなければ、オステオパスとは、いえません。
オステオパシーでは、無理をせず、さまざまな、テクニックによって、痛みを与えずに、施術します。少しずつ、肩の動く範囲は、広がっていくでしょう。
筋エネルギーテクニック ・クラシカルテクニック
可動域を広げます
カウンターストレインテクニック
痛みのない安全な治療
直接法テクニック・ストラクチュアルテクニック
姿勢から治します